菊池桃子 長女の障害を公表、一生懸命生きている娘の姿見て「隠すことは娘に失礼」 [芸能]
女優:菊池桃子(47)が16日、フジテレビ系「ノンストップ!」(月~金 前9:50)で2001年に出産した長女に障害があることを公表した。「芸能人はイメージが大事なので、隠さなきゃ」と考えていたが、「娘が一生懸命生きている姿を見たら、隠していることが同じ人間として娘に失礼に思えて」と、公表に至った経緯を明かした。

菊池桃子が芸能界に入るきっかけは、当時青山の叔母が経営する飲食店に彼女の写真が置いてあり、それを目にした音楽関係者からのスカウトだった。しかし、度重なるオーディションに失敗の連続で、なかなか芽が開くことはなかった。そんな苦難を乗り越えた彼女に転機が訪れた、アイドル雑誌「Momoko」のイメージガールに選ばれ創刊号の表紙を飾ると1984年4月ニューシングル「青春のいじわる」で歌手デビューした。その後「日本レコード大賞新人賞」を受賞、「日本レコードセールス大賞女性新人賞」も受賞し、トップアイドルへの道を駆け上がっていった。

1995年に歌手の五月みどりさんの息子でプロゴルファーの西川哲さんと結婚、翌年の1996年8月に長男を2001年には長女を出産している。だがその後2012年に離婚を発表した。離婚の原因は度重なる女性問題や多額の負債が明るみになり、その中でも女性問題に関しては元夫の西川哲には別宅があり、40代の女子プロゴルファーとの関係やホステスとの関係もあったようだと関係者は話す。また、育児中は全く育児に協力せず育児放棄に近い状態だったと話す関係者もいた。しかし菊池は離婚の原因を一切口にすることはなかった。
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今回、公表した娘の障害の他にも長男と長女の間に出産の前に、障害を持つ可能性があった子を死産していたことも打ち明けた。その時「もし子供が病気を持ったならば、お母さんとして闘おうと考えた時期があった」といい、その後に誕生した長女が生後7ヶ月で脳梗塞を発症した。その後、左の手足に障害が残る後遺症があったことが判明し「私がサポートしていこう。泣いている場合じゃない」と、決意したことを振り返った。
子供が成長していく中で母親の菊池の懸命なサポートもあって、一人で歩けるようになった長女は幼稚園に入園した。しかし、小学校に入学すると「どうしてみんなと同じようにできないの」と心に変化が表れ、悩んだり過呼吸や円形脱毛症になってしまったという。そんな娘の姿を見て、彼女に合った学校を探そうとしたが障害のある子供の教育相談を受けてくれる、環境が整った自治体が無かった。このとき「社会構造に疑問と憤りを感じずにはいられなかった」と語った。

彼女はその後、2012年(平成24年)に法政大学大学院で雇用問題を専攻、修士号を修得した。同年から母校の戸板女子短期大学の客員教授に就任し、労働分野の講義を担当している。そして、2015年12月17日(木)には初の著書にあたる『午後には陽のあたる場所』を扶桑社より発売することとなった。ますます彼女の活躍に期待したいところだ。

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菊池桃子が芸能界に入るきっかけは、当時青山の叔母が経営する飲食店に彼女の写真が置いてあり、それを目にした音楽関係者からのスカウトだった。しかし、度重なるオーディションに失敗の連続で、なかなか芽が開くことはなかった。そんな苦難を乗り越えた彼女に転機が訪れた、アイドル雑誌「Momoko」のイメージガールに選ばれ創刊号の表紙を飾ると1984年4月ニューシングル「青春のいじわる」で歌手デビューした。その後「日本レコード大賞新人賞」を受賞、「日本レコードセールス大賞女性新人賞」も受賞し、トップアイドルへの道を駆け上がっていった。

1995年に歌手の五月みどりさんの息子でプロゴルファーの西川哲さんと結婚、翌年の1996年8月に長男を2001年には長女を出産している。だがその後2012年に離婚を発表した。離婚の原因は度重なる女性問題や多額の負債が明るみになり、その中でも女性問題に関しては元夫の西川哲には別宅があり、40代の女子プロゴルファーとの関係やホステスとの関係もあったようだと関係者は話す。また、育児中は全く育児に協力せず育児放棄に近い状態だったと話す関係者もいた。しかし菊池は離婚の原因を一切口にすることはなかった。
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今回、公表した娘の障害の他にも長男と長女の間に出産の前に、障害を持つ可能性があった子を死産していたことも打ち明けた。その時「もし子供が病気を持ったならば、お母さんとして闘おうと考えた時期があった」といい、その後に誕生した長女が生後7ヶ月で脳梗塞を発症した。その後、左の手足に障害が残る後遺症があったことが判明し「私がサポートしていこう。泣いている場合じゃない」と、決意したことを振り返った。
子供が成長していく中で母親の菊池の懸命なサポートもあって、一人で歩けるようになった長女は幼稚園に入園した。しかし、小学校に入学すると「どうしてみんなと同じようにできないの」と心に変化が表れ、悩んだり過呼吸や円形脱毛症になってしまったという。そんな娘の姿を見て、彼女に合った学校を探そうとしたが障害のある子供の教育相談を受けてくれる、環境が整った自治体が無かった。このとき「社会構造に疑問と憤りを感じずにはいられなかった」と語った。

彼女はその後、2012年(平成24年)に法政大学大学院で雇用問題を専攻、修士号を修得した。同年から母校の戸板女子短期大学の客員教授に就任し、労働分野の講義を担当している。そして、2015年12月17日(木)には初の著書にあたる『午後には陽のあたる場所』を扶桑社より発売することとなった。ますます彼女の活躍に期待したいところだ。

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